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2016年10月23日 (日)

昔は有明海にアサリはいなかった

 不知火球磨川流域圏学会の秋の現地見学会へ出かけた。今回は、熊本地震の断層を見てまわる巡検だった。午前中に下山正一先生の地震や断層についての講演を聴いて、午後から益城町近辺に新たにできた断層3カ所を見てまわった。

 下山先生は地震の専門家だと思っていたら、地層の専門家だった。それも、貝の化石に詳しい。貝殻の破片を見ると、もともとの貝の形が見えるのだそうだ。ついつい、質問の雨を降らせてしまった。

 今の有明海は日本でも有数のアサリの漁獲高を誇るが、昔の干潟にアサリはいなかった。直径35センチ、長さ5メートルの筒をクレーンで立てて干潟に打ち込んで地層を採り、泥の年代と貝殻の種類を10センチごとに調べたところ、有明海にアサリがたくさん生息するようになったのは180年から190年前だということがわかった。

 有明海では1792年に島原半島の雲仙岳が噴火し、流れ出て冷えて堆積した膨大な量の溶岩が海へ崩れ落ちて、有明海沿岸を津波が襲った。筒を使って取り出した干潟の地層には、この津波の跡が残っている。アサリの貝殻が見つかるのは、224年前の津波から数十年あとの地層だ。

 一方、付近の貝塚を調べたところ、アサリの貝殻が出土するのは有明海の湾口近くだけで、古代、内湾沿岸にはハマグリ、ヤマトシジミ、マガキ、ハイガイなどしかいなかった。筒で採った地層を見ると、津波の前の干潟は砂の粒子が細かく、アサリの生息には向かなかったこともわかった。津波で干潟環境が泥質から砂質に変わり、アサリが棲めるようになったようだ。

 興味深いことに、アサリの貝殻が最初に出現するのは湾中央部の沿岸の地層だ。貝塚では湾口近くからしかアサリは見つかっていないので、外海から内湾へ分布が広がってもよさそうだが、そうではない。つまり、人がどこからかアサリを持ってきて放流したと考えられる。福岡の博多湾近辺の貝塚からはアサリが出土しているので、そこから運んだのかもしれない。

 熊本地震の断層の話も興味深かったが、有明海のアサリの古くて新しい知識もおもしろかった。

 
参考文献
Historical occurrence of the short-neck clam, Ruditapes philippinarum (Adams & Reeve, 1850), on the sandy flats of Ariake Bay, Kyushu, western Japan. Shoichi Shimoyama, Toshihiko Ichihara, Kaori Tsukano, Minami Kabashima, Noriyuki Momoshima, Tomohiro Komorita, Hiroaki Tsutsumi. Plankton & Benthos Research, 10: 202-214. 2015.
 
 

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