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2016年10月

2016年10月29日 (土)

蜘蛛の巣のインスタレーション

Photo_3   平川渚作「ぬけ道、とおり道」

 糸島芸嚢「アートの収穫祭」へ行って森の中で見た素敵なインスタレーションをもう一つ。森の山道を登っていくと、古いお堂のような小屋があった。扉があいていたので、中を見ると作品が張り巡らされていた。

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 蜘蛛の巣のように見えるのはレース編み。編んだ帯は枝分かれしたり、丸い穴の中をくぐりぬけたりしているので、厳密には蜘蛛の巣ではないが、緻密な空間アートだった。

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 この少し下で「ダレカノネガイ」という作品を展示していた黒崎加津美さんが、昨年はお堂の扉を漆で塗ったと話していたのは、この扉のことだろうか。赤い扉と、クリーム色の壁と、焦げ茶色の床に、レース編みの蜘蛛の巣が張られていて、本当なら寂しいお堂が、喜んでいるように見えた。
 
 

森の中の貝殻のインスタレーション

2   杉原信幸作 「貝つむぎ」


 インスタレーションとは、時と場が限定された芸術作品のこと。たとえば砂の城。高度な技術で目を見張るような作品を作っても、砂が乾いたり、波が寄せたりすると跡形もなくなる。プロの制作者なら完成させたら写真に残すのだろう。糸島芸農「アートの収穫祭」という国際芸術祭をのぞいてみたら、松末権九郎稲荷の裏山の森の中で貝殻のインスタレーションに出会った。

 けっこうな急坂を登っていたら、かつて一度伐採された広葉樹の根元から新たな芽がたくさん出て(萌芽)、それぞれの芽が径30センチくらいの大木に育った木があった。その脇に作品の題名を書いた白い札が置いてあり、材料は貝殻とテグスと針金とある。まわりを見回してもそれらしきものはない。萌芽した広葉樹の大木のことかと思ってよく見ると、古い切り株があったはずの中心部の上空の枝から、割れた貝殻をつなげた紐が吊り下げられていた。

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 貝殻なしの木だけでも芸術的だが、それだと作品と呼ぶわけにはいかないのだろう。なぜ貝殻なのかわからなかったが、萌芽した木の芸術性を損なわないような材料を探したのかもしれない。どこで拾った貝殻なのだろうと気になった。


 
 

 

2016年10月25日 (火)

『はまぐりの草紙』を読んでみた

 ハマグリについて書かれているのかと、本の題名にひかれて買ってみた。

 室町時代のおとぎ草紙を現代社会の脚色を加えながら現代語で綴った絵本なのだが、やたらと漢字が多い文章だし、裸の女性のイラストは出てくるし、まあ子供向きとは言えない。マンガがこれだけ普及しているのだから、大人が絵本を読んで悪いことはあるまいと思い、内容についても著者についても何も知識がないまま読み始める。

 今の社会を皮肉る言葉がときどき出てくるのが面白くて、一気に読んでしまう。最後に原書通りの物語も収録してあった。著者紹介の部分を見ると、いろいろ賞をもらっている人らしい。こういう古典の翻訳も楽しいかもしれないと、そのアイディアに感心する。

 話の筋は、竹取物語と、鶴の恩返しと、浦島太郎を合体させたようなもの。結論ははっきりしていて、親孝行をすると天からご褒美がもらえるよ(だから親の面倒をしっかりみなさい)、というものだった。若い世代に親の介護をさせようとする工夫をするのは、なにも今に始まったものではないことがよくわかる。親孝行について教えられずに大人になった人に親の介護をさせるために、複数世代の家族を推奨するような法律を検討するよりも、子供の時からこのような物語を読み聞かせるほうが効果はあがるかもしれない。

 ご褒美が7000年という寿命だそうなので、主人公は現在も生きている計算になる。しかし、あと数千年して年老いたら、誰が介護してくれるのだろうと、要らぬ心配をしてしまった。昔は「介護」を「親孝行」と呼んだことにも気づいた。言葉はうまく使ってこそ威力を発揮する。
Hamagurinosoushi
参考文献
『はまぐりの草紙』 文:橋本治 絵:樋上公美子 講談社 2015年刊
 
 

2016年10月23日 (日)

昔は有明海にアサリはいなかった

 不知火球磨川流域圏学会の秋の現地見学会へ出かけた。今回は、熊本地震の断層を見てまわる巡検だった。午前中に下山正一先生の地震や断層についての講演を聴いて、午後から益城町近辺に新たにできた断層3カ所を見てまわった。

 下山先生は地震の専門家だと思っていたら、地層の専門家だった。それも、貝の化石に詳しい。貝殻の破片を見ると、もともとの貝の形が見えるのだそうだ。ついつい、質問の雨を降らせてしまった。

 今の有明海は日本でも有数のアサリの漁獲高を誇るが、昔の干潟にアサリはいなかった。直径35センチ、長さ5メートルの筒をクレーンで立てて干潟に打ち込んで地層を採り、泥の年代と貝殻の種類を10センチごとに調べたところ、有明海にアサリがたくさん生息するようになったのは180年から190年前だということがわかった。

 有明海では1792年に島原半島の雲仙岳が噴火し、流れ出て冷えて堆積した膨大な量の溶岩が海へ崩れ落ちて、有明海沿岸を津波が襲った。筒を使って取り出した干潟の地層には、この津波の跡が残っている。アサリの貝殻が見つかるのは、224年前の津波から数十年あとの地層だ。

 一方、付近の貝塚を調べたところ、アサリの貝殻が出土するのは有明海の湾口近くだけで、古代、内湾沿岸にはハマグリ、ヤマトシジミ、マガキ、ハイガイなどしかいなかった。筒で採った地層を見ると、津波の前の干潟は砂の粒子が細かく、アサリの生息には向かなかったこともわかった。津波で干潟環境が泥質から砂質に変わり、アサリが棲めるようになったようだ。

 興味深いことに、アサリの貝殻が最初に出現するのは湾中央部の沿岸の地層だ。貝塚では湾口近くからしかアサリは見つかっていないので、外海から内湾へ分布が広がってもよさそうだが、そうではない。つまり、人がどこからかアサリを持ってきて放流したと考えられる。福岡の博多湾近辺の貝塚からはアサリが出土しているので、そこから運んだのかもしれない。

 熊本地震の断層の話も興味深かったが、有明海のアサリの古くて新しい知識もおもしろかった。

 
参考文献
Historical occurrence of the short-neck clam, Ruditapes philippinarum (Adams & Reeve, 1850), on the sandy flats of Ariake Bay, Kyushu, western Japan. Shoichi Shimoyama, Toshihiko Ichihara, Kaori Tsukano, Minami Kabashima, Noriyuki Momoshima, Tomohiro Komorita, Hiroaki Tsutsumi. Plankton & Benthos Research, 10: 202-214. 2015.
 
 

2016年10月 3日 (月)

アカウミガメの合わせ貝

 宮崎県の小倉ヶ浜に打ち上げられたチョウセンハマグリの貝殻で、日本画家の宮下博直さんにアカウミガメ合わせ貝を制作してもらいました。貝殻の内側に金箔を2枚重ねて貼り、その上に岩絵具で描かれています。

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  宮下博直作

 貝殻は日向市在住の岡山清英さんが採集したものです。全面がほぼ白色で模様がわずかしかなく、長さが8.9cmの大きな貝殻です。絵を描いてもらう前と後に重さを測ったら、絵具分の重さは0.7グラムでした。

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 制作をお願いするときに、参考のためにアカウミガメの精巧なフィギュアをお渡ししたのですが、宮下さんはネットの動画などでウミガメが泳ぐ姿をだいぶ研究してくださったようです。日本語のサイトには、アオウミガメの画像を誤って「アカウミガメ」と表示しているものがたくさんあるということです。

 アカウミガメは英語でloggerhead seaturtleと言うように、アオウミガメより首が太くて「頭でっかち」に見えます。雑食性なので、貝やカニの殻を砕くための顎や首の筋肉が発達しているのでしょう。その特徴をうまく描いてくれました。

Loggerhead

 次はなんの絵を描いてもらおうかと思案中です。大きな貝殻も探さねばなりません。
 
 

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